事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000001367
状態 受付済
質問日 2024/12/01

奥平信昌の血筋で武田側と家康側についた者を知りたい。

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2025/02/04
関連質問番号

【資料1】p.42(貞勝公年齢別略伝)「62才 作手村立ち退き反対、武田に属し巨摩郡中村に住す。」p.158に「(作手からの立ち退きについて)特に貞能の父・貞勝と弟・常勝の説得は難しい状況であった。」「武田方はまず、奥平一味の常勝・定包等五十数人が追い・・・」 p.161に「とにかく、ここにおいて奥平氏は二分し、奥平宗家(貞能)は徳川勢に加わり、貞勝、常勝親子の一派は武田勢に残るという氏族二分の構図が鮮明となり、・・」と記載あり。
【資料2】p.33に「中津藩史によれば、武田方に残ったのは貞勝、五郎座衛門常勝、助次郎定包であった。」と記載あり。p.34に田原坂の戦のあとに貞能が浜松の家康のもとに連れて行った者たちの記載が数名のっている。
【資料3】p.208に「(常勝)武田軍に志を通ずるにより死をたまふ」とある。

参考文献

タイトル 注記
奥平氏と額田 【資料1】p.42、158、161
長篠戦史 第二分冊 【資料2】p.33-34
新訂 寛政重修諸家譜 第九 【資料3】p.208

1/1