事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0000001366 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2024/12/01 |
奥平貞能、信昌が亀山城を脱出し、徳川方になるまでの戦いの順序が知りたい。
その中の石筒ケ根の戦いの読み方が知りたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2025/02/04 |
関連質問番号 |
以下の資料を提供
資料によりいろいろあるが、これらの戦いはすべて天正元年八月二十日、二十一頃に発生している。
【資料1】作手立ち退き→石筒ケ根坂→滝山合戦(滝山の戦い、田原坂の戦い)
【資料2】石堂ケ根の戦→古宮城の戦→田原坂の戦→古宮、宇津木、大和田、島田の戦
【資料3】貞能亀山城撤退(石堂ケ根の戦い)→滝山城と田原坂合戦→古宮城の戦い
の記載あり。
また石筒ケ根坂の地名については【資料1】に「「石筒ケ根坂」の地名の表記でありますが、種々の漢字をあてているが、それを書き出してみる。(五通りほど記載されています)…ちなみに「石筒ケ根坂」の地名は、今では「イシドウガネ」と称しているが、本来は「イワカネ」、岩崎山の近くの岩、すなわち「岩カ根」と呼ぶべきだと感じた。」とあり。
参考文献
タイトル | 注記 |
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奥平氏と額田 | 【資料1】p.155-164 |
作手村誌 (1960) | 【資料2】p.248-249 |
作手村誌 (1982) | 【資料3】p.248-249 |
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