事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000001282
状態 受付済
質問日 2023/04/27

江戸時代の頃から岡崎に染物屋はあったか。

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2023/05/29
関連質問番号

以下の資料を紹介
【資料1】当所町直段の覚に染ものの項目あり、「下直の方也、風呂敷染代、西矢作紺屋茂右衛門直段・・・」の記載あり
【資料2】元禄11年と享和年間の職業一覧に「享和 紺屋 1」とあり
【資料3】「又紅花があり紙麻がある。紅花は染料であり、紙麻は紙を製する植物である。・・・山野の物に薬用や染料にする黄蘗、櫛にする黄楊も出た」と記載あり
【史料4】享和書上の商売書上として各町に紺屋あり。連尺町・壹軒、伝馬町・二軒、板屋町・一軒、横町(本町)・一軒、両町・一軒、投町(若宮町)・二軒、久右衛門小路(久右衛門町)・二軒と記載あり。p.521に【資料1】と同じ記載あり。
【資料5~7】染色業、三河染色整理加工共同組合はあるが、明治や昭和の記録で江戸時代の記載はない。

参考文献

タイトル 注記
三河美屋け [翻刻] 【資料1】p.75
連尺町物語 【資料2】p.23
岡崎市史 第壹巻 【資料3】p.35
岡崎市史 第參巻 【資料4】p.38、149、166、202、224、233、265、521
新編岡崎市史 20 【資料5】p.218
新編岡崎市史 5 【資料6】p.110-114
岡崎市戦災復興誌 【資料7】p.813

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