事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0000001356 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2024/10/18 |
下佐々木町の沿道に在る「力丸塚」について知りたい。何時誰が設置したか、塚にまつわる言伝えがあるのか。また、佐々木上宮寺の境内に在る「三河太田発祥の地」の立札に記されている太田家と力丸との関係について知りたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2024/11/25 |
関連質問番号 |
上宮寺には聖徳太子と太田力丸の出会いを顕彰し、上宮寺のはじまりの物語を広くかつ後世に伝えるために建てられた碑「三河太田発祥の地」があり
【資料1、2、3】力丸塚は、下佐々木字如来寺(上宮寺一二坊の中)にあり。「聖徳太子が大鳥居畷(あぜ道)を牛舎でお通りの際、車が深田に落ちてしまった。これを大力で引き上げたので太子より「力丸」の名を賜った。」という伝説。
【資料4】力丸塚の項あり。「・・・太田家の元祖(始祖)である力丸の塚です。塚石は近年建てられたもので、聖徳太子の御車を引き上げた場所とは特定できません。」と記載あり。
「太子山上宮寺伝」(上宮寺蔵)に聖徳太子と力丸、大田の名を賜った事などの記載があり。
太田の先人である太田吉政の墓碑については【資料5】
【資料6】大田(点なし)の系譜あり。冒頭に「最祖よりの葬地三河国上宮寺にあり」との記載のみで力丸との関係は確認できない。
塚について設置された経緯、時代はわからなかった。
参考:安城市の太田屋敷にも「力丸塚」と似たような伝説あり。
【資料7】「・・・それを引き上げた男こそ、太田家の祖先でした。その褒美として「太田 力麿(りきまろ)」の名と「片輪車」の家紋を賜りました。」と記載あり。
参考文献
タイトル | 注記 |
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矢作町誌 | 【資料1】p.247-248(佐崎古塚) |
岡崎の歴史的石物 | 【資料2】p.182-183(聖徳太子に名前を頂いた・力丸塚) |
点 | 【資料3】p.212-213(力丸塚) |
悠久の土井 | 【資料4】p.47-50 |
岡崎の史跡石造物 | 【資料5】(太田吉政の墓碑) |
新訂 寛政重修諸家譜 第十四 | 【資料6】p.53-55(寛政重修諸家譜第八百五十七 大田) |
あんじょう地元学 | 【資料7】p.45 |
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