事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000001336
状態 受付済
質問日 2024/05/26

服部平兵衛直光が仕えていた本多忠良が越後村上から刈谷に来た時に一緒に連れてきた中根家の家臣はだれか知りたい。

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2024/07/04
関連質問番号

【資料1】中根家歴代あり。初代「忠実」→二代「忠晴」→三代「忠清」→四代「忠真」と記載あり。
本多家代々居住地並びに石高の図あり。越後村上は7代本多忠孝(1704-1710)、三河刈谷は8代本多忠良(1710-1712)が治めている。
四代中根忠晴(←忠真の間違えか?)の家督期間が1665-1617(←1716の間違えか?)で在城地が大和郡山、陸奥福嶋、越後村上、三河刈谷、下総古河となっている。
【資料2】本多家・中根家当主一覧あり。4代中根忠真の在位期間が三河刈谷の時期と重なっているため、4代忠真だった。

参考に【資料3】本多家臣略系譜に中根家あり。忠実→忠晴→忠清→忠真

参考文献

タイトル 注記
隼人がゆく 【資料1】p.14、19
中根家文書 上 【資料2】p.134
本多家とその家臣団 第二版 【資料3】p.3-4

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