事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000001334
状態 受付済
質問日 2024/05/09

中島城主・中島与五郎が、豊橋の大崎で船手の役をしていたらしい。参考になる資料はあるか。大林寺と崇福寺に中島与五郎の墓がある。

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2024/07/04
関連質問番号

【資料1】大林寺に中島與五郎政成の墓あり
【資料2】崇福寺に中島與五郎の墓あり。「中島與五郎は舊中島の城主にて・・・渥美郡大崎に移封し・・・」と記載あり。
【資料3】「領主名/中嶋與五郎重春 領知郡名/渥美 石高/607.000」「領主名/中嶋與五郎昌央 領知郡名/渥美」「中嶋與五郎 大崎村」の記載あり。
【資料4】中島氏の項に大崎について記載あり。
「中島家は・・・方盛が、永正七年故あって碧海郡中島城三千貫文を食むに及び姓を中島と改稱した・・・方盛から政行に、政行から政成を経て重次に至る。重次は重好の父で、徳川家康に仕へ・・・」「・・・三河國渥美郡大崎海邊を守るべしとの命で、大崎知行六百石を下されたのである。家康は重好を大崎に置いて船手の事を勤めしめ萬一に備えた・・・」などと記載あり。

参考文献

タイトル 注記
岡崎市史 第七巻 【資料1】p.402
六ツ美村誌 [復刻版] 【資料2】p.570
岡崎市史 第五巻 【資料3】p.160、167、173
渥美郡史 【資料4】p.587-596

1/1