事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000001315
状態 受付済
質問日 2024/01/25

1571年頃の岩津城主は誰か。

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2024/02/20
関連質問番号

以下の資料を紹介
【資料1】「安祥城を文明3年(1471)攻略した。安祥城主に・・・岩津城主には親忠の長男親長を当てた。」「元亀二年(1571)四月、秋山伯耆守を将とする甲州武田勢が岩津城を攻めた。岩津城主は松平源五郎であった。」と記載あり
【資料2】p.1117に「『参河聰視録岩津村記』に、元亀二年辛未夏四月七日、甲州勢秋山伯耆守ト岩津ノ城主松平源五郎ト合戦ノ時、天ケ峯ヨリ本城ヲ見ヲロシ落スト云、」と記載あり
【資料3】「築城当初は、松平信光が城主であったが、その後、信光の子親長に城をゆずったと言われている。」とあるが、その後の城主の記載はない
【資料4】「元亀2年(1571)春から長篠合戦があった天正3年5月に至る間は、甲州武田氏の岡崎地方侵略が現実の危機として存在したのである。・・・岩津城は岡崎城の北の守りとしての役割を担わされたが・・・この当時は岩津城には城主・城代など存在せず・・・」
p33註31「『三州本間氏覚書』は甲州勢が岩津へ出張して『城主松平源五郎殿攻落』とする。この源五郎は光則(白清)を指すらしく、誤伝である。」と記載あり
【資料5】「松平信光は、父泰親とともに応永年間の末に松平郷より岩津へ進出し、ほどなく岩津城を構築したといわれている。・・・信光は岩津城を惣領修理亮親長に譲った」とあるが、それ以上の記載はない

参考文献

タイトル 注記
新編岩津町誌 【資料1】p.805-807
新編岡崎市史 2 【資料2】p.1110-1122
岩津の史跡と文化財 【資料3】p.259-260
岩津城跡測量調査報告書 【資料4】p.23-36
定本西三河の城 【資料5】p.52-55

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